頑張れ!行徳ソフトボールスポーツ少年団♪ フレーム

2005/02/26(土)卒団式
2004年度卒団式

               「スポ少に入って」           伊東匠

 ぼくは、スポ少に入る前まで、野球にはあまり興味がありませんでした。でも、スポ少に入ってソフトボールをやったら、どんどん楽しくなって、もっともっとうまくなりたいと思うようになりました。
はじめは、キャッチボールもうまくできませんでした。でも監督やコーチに教えてもらって、少しずつ出来るようになり、、楽しさが分かってきました。
そして、少しずつ出来るようになっていくと、まだまだへただけど、昔の自分とは、ぜんぜんちがうなぁと思いました。
スポ少に入ったばかりの時は、試合があって負けてもあまりくやしさはなかったけれど、だんだん試合が楽しみになり、試合に勝つと自分は試合に出てなくてもうれしくなり、負けるとすごく、くやしく思うようになりました。
これから中学になり社会人になり監督やコーチに学んだことを心にがんばっていきたいです。
                 「スポ少に入って」         大河原光明

ぼくは、三年生の夏に、監督に、「明日、練習に来ないと迎えにいくからな。」と言われ、半分は無理やり入団しました。それから三年半が過ぎて今はスポ少に入って本当に良かったと思います。
 一番うれしかったことは、五年生の時に夏の大会で、県大会に出場したときのことです。
 一番くやしかったことは、六年の白獅子杯で三回戦の小原田戦で負けたことです。でもいつも監督やコーチにげきをとばされ
「次こそ勝つぞ。」と決意できました。
 11人のチームメイトと後輩達と過ごした行徳スポ少のことは一生忘れないと思います。
中学に行っても野球を続け、勉強もがんばっていきたいです。
 今日まで本当にありがとうございました。


          「スポ少に入って良かったこと」        小関恭平

 僕は、四年生の時にスポーツ少年団に入団しました。それからの三年間は、色々なことがありました。
その中でも一番印象に残っているのは、五年生の時の優勝した大会です。その優勝したときの大会に、僕は出場することはできなかったけど、ベンチで祈るように応援していました。
そして僕達のチームが優勝した時、みんなは、飛び上がって喜び合い僕も泣くほどうれしかったです。
 僕は、試合に出れなかったり、練習がつらかったりしてスポ少をやめようかな、と思ったりしたこともなんどかあったけど、いままでスポ少を続けきて本当に良かったと改めて思いました。
 このスポ少で学んだ仲間の大切さや、チームの団結力を中学校生活や部活などに生かしていきたいと思います。
                  「スポ少に入って」          斉藤悠人

ぼくが、行徳スポ少に入団して二年半がたちましたが、その間いろいろなことがありました。入団したばかりのころは、練習が厳しかったり、休みがなくなったりと、つらくてやめようと思ったこともありましたが、「もう少しがんばってみよう。」と決めてやり続けました。そして、練習していくうちに、みんなでやるソフトボールが楽しくなってきました。やめずに続けてよかったです。六年の試合で優勝できなかったのは残念だったけれど、このくやしさをばねにして、中学校の野球部では優勝めざしてがんばりたいです。行徳スポ少を通して、がんばることの大切さが分かりました。また仲間とうれしい時やくやしい時を共にすごすことができてよかったです。
 監督やコーチには、たくさんのことを教えていただきました。今までご指導本当にありがとうございました。
              「スポ少での四年間」        齋藤竜二

 監督、コーチ、父兄の皆さん、ぼくたちのために今までご指導本当にありがとうございました。
 ぼくは、三年生のころからソフトボールを始めました。始めたばかりのころは、キャッチボールをやるのさえ、まともにできませんでした。でも今は監督、コーチのおかげで、ここまで上達することができました。
 そして、ぼくがこの四年間で、一番心にのこっていることは、五年の夏の県中地区予選です。優勝したときは、これまでずっと、ソフトボールをやってきてよかったと思いました。
 この少年団での四年間、ぼくにとって最高の四年間でした。これからは、スポーツ少年団で学んだことを生かし、中学高校へ行って、野球をやりたいと思っています。そのときは皆さん応援よろしくお願いします。監督、コーチ、父兄の皆さん本当にありがとうございました。
               「スポ少の思い出」          塩沼幸己

 ぼくは、四年生の七月頃に、この行徳ソフトボールスポーツ少年団に入団しました。
 ぼくは、入団した頃は、ソフトボールが下手だったので、レギュラーになれるかどうか心配でした。あと、同じ学年の人以外は知らない人ばかりだったので、高学年の人たちと上手くやっていけるかどうかも心配でした。
 だけど、心配はすぐに無くなりました。
なぜかというと、スポ少の人たちは、みんな親切にわからないことを、教えてくれたからです。
 ぼくのスポ少での一番の思い出は、五年生の時の夏に行われた白獅子杯という大会で優勝したことです。
 ぼくは、優勝した 間最高にうれしかったです。
 ぼくは行徳スポ少に入団してとてもよかったです。

 

              「この四年間は、宝物」           戸部克俊

 僕が、スポ少に入団したのは、三年生の六月頃でした。山形から引っ越してきて、リトルと迷ったけど、友達がいて、楽しそうだったスポ少に入団しました。そして、四年生になると、ピッチャーだった先輩が二人抜けて、僕がピッチャーになりました。初めてピッチング練習をしたとき、監督に
「お前を、”郡山一”のピッチャーにしてやる。」
といわれました。ピッチャーは憧れのポジションだったので、とてもうれしかったです。
 五年生になると、自分のピッチングに自信がついてきて、見事優勝することができました。「郡山一」と思ったときは、感動しました。
 しかし今シーズンは、良い成績を修めることはできませんでしたが、体育大会の小原田戦は今までの中で、最高のピッチングができました。
あのピッチングは、監督、コーチ、応援してくださった方々、そして一緒に戦ったベストメンバーのおかげです。本当にありがとうございました。思い出がぎっちり詰まったこの四年間は、大切な大切な宝物です。
            「楽しかったスポーツ少年団」         外山敦史

皆様、僕達のためにこのような会を開いてくださりありがとうございます。
 僕がこのソフトボールスポーツ少年団に入団したきっかけは友達のさそいや自分の興味からでした。最初はやはり何事もうまくいかず自信もありませんでした。特に入った時はキャッチボールすらできませんでした。しかし、学年が上がるにつれキャッチボールはもちろん、さまざまな球の捕球やプレー、そしてバッティングなどできるようになりました。
これは、監督やコーチ、そして保護者の皆様が支えてくれたおかげでできるようになったので、この一年間も恩返ししようと思い、戦いました。しかし優勝ができず本当にすいませんでした。二、三、四、五年生の皆さん僕達ができなかった優勝をしてください。
 僕は、中学の野球部で今まで習ったことを思い出しながらがんばっていきたいです。


                 「一生の思い出」           永山竜太

 僕は、三年生のとき、この行徳ソフトボールスポーツ少年団に入団しました。
初めは、打つ、捕る、投げる、走るということが十分にできませんでした。
 試合をはじめてやったときには、試合の楽しさを知りました。それからも練習を積み重ねていきました。
監督、コーチの方々が分かりやすく教えてくださったおかげで少しずつうまくなっていきました。「失敗を恐れず全力で行け」などの監督、コーチの方々の言葉は僕達に勇気を与えてくれました。
そして、五年生のときの白獅子杯で優勝することができました。こらからも試合に勝ったときの喜び、負けたときのくやしさを忘れず努力していこうと思います。
 今までいっしょに戦ってくれた仲間、応援してくださった父兄のみなさん、後輩のみんな、コーチの方々、監督、この最高の四年間を、ありがとうございました。 
 

                「今までありがとう」          浜田拓馬

 この二年間をふり返って、五年生の時の県中地区予選大会の富田戦で代打で出場した時、監督からバントのサインが出て、できるかどうか不安でした。でもその打席は三振に終わり悔しくて涙がでそうでした。
 六年生の時は、初めてライトのポジションの背番号をもらった時はうれしかったです。
 いわきに行った練習試合では三試合目の代打出場では空振り三振をして三振した時にしりもちをつき後ろに一回転してしまい相手チームから拍手があり、とてもうれしかったです。
 そしてぼくの決意はこの行徳スポ少で習った基本、技術そして中学や高校、社会に出ても野球に専念したいと思います。
 いつかプロ野球選手になってこの行徳スポ少に歴史を作りたいと思います。
 監督、二年間ありがとうございました。
                 「スポ少で学んだこと」          星純平

 僕がスポ少で学んだことは、簡単にあきらめないということです。
 スポ少に入団したころは、みんなから「ぽろりん」と言われていました。その理由はボールをうまくキャッチできずにエラーばかりしていたからです。その時は、「入団したばかりだから、エラーしてあたりまえじゃないの」と思っていましたがだんだん悔しくなってきました。
そこで、毎日善宝公園で練習したり、かべ当てなどをしました。そしたらだんだんボールに慣れてきて、ボールをうまく取れるようになりました。
その結果が 対岩江スポ少戦ででました。センター前に転がりそうなボールを取って、投げたらアウトになりました。
 そういうことができたのは、毎日の練習のせいかだったのかなぁと思いました。
 僕はそのことからやればできるんだと思いました。監督これからもがんばってください。




ファインダーが涙でくもってしまいピントがあいません。
11名の卒団生たちのメッセージは皆の胸深く、深く きざまれました。


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